南港90R
南港90R
2007年8月16日の様子です。


 ↑ 1990〜1994年頃、南港90Rと呼ばれていた場所です。
   外側にフェンスが出来ていました。



 ↑ 減速帯の厚みは変わっていませんでした。しかしトラックが
   常に路駐しています。



 ↑ この景色はあまり変わっていないです。


 ↑ この先でUターンできたのですが、ずっと先の信号まで中央
   にフェンスが出来ていました。





   上の写真はネットで拾った出所不明の南港90Rの画像です。おそらく1992年頃の物と思われます。この写真は昼間ですが、
   土曜の夜になるとこの2〜3倍の人数が集まりました。当時の南港はまだ工事中の場所が多く、走り屋も多く集まりました。
   昼間からここに居るというのは不登校か夜間校か中卒なのか・・・そんな理由に触れるのは野暮というものです。
   
   車種はNSR50/250、CBR250/400、VFR400、TZR250、FZR400、等が大半を占めていました。スクーターも走ることはでき
   ました。右端に軽トラが写っていますが、NSR50など運んで来る人も居て、ここで攻める&セッティングを出すなど自由に楽し
   んでいました。スクーターやNSR50でも、250ccのバイクを追い抜く光景もよくありました。
   
    こういう湾岸スポットはだいたい、1コーナーを攻めてUターンする、の繰り返しです。ここはギャラリーできる場所が広いのと、
   短いがスピードの出るコースだったので、ずっと見ていられる(見てもらえる)という点が人気の高かったところだと思います。
   もちろん利便性や交通量なども、スポット化する要因ではあります。速い人はツナギもバイクも傷だらけでしたが、速ければ
   それもまた味をかもし出していて、大変格好良く見えたものです。
   
   この頃はインターネットも携帯電話も無い時代でしたので、情報源と言えばバリバリマシンや、友人の友人からの噂話、また
   はこういう場所で知り合った人との会話などから得ていました。そのため、その場で知り合って情報交換するという行動が非
   常に重要で、例えばあっちで誰かが事故した、警察が来た、どこのスポットが今盛り上がっているよ、などの情報はバイクに
   乗っている者同士で仲間意識が生まれるのか、気軽に話しかけたり話かけられたりしました。皆今の時間を楽しんでいる、
   そういう感覚であったように記憶しています。
   
   
   
    「走り屋の気持ち」

    何も美化するつもりはありませんが、ここからは私なりの分析です。彼らはいわゆる、「不良少年」という部類ではないと思い
   ます。例えばサッカーが好きになってサッカー部に入って、サッカー選手になるとか、歌手を好きになって憧れて、自分も楽
   器を習い始めるとか、そのように何かの趣味に打ち込んで行くのと同じ感覚であったと思います。つまりは、たまたま好きに
   なってハマっていった物が、サッカーや音楽ではなく、バイクだった、それだけの事だと思うのです。サッカーはボールがあ
   れば1人であってもリフティングの練習はできます。音楽も、楽器さえあれば1人でもできるし、歌おうと思えばどこででも歌え
   ます。 しかしバイクの場合は練習しようにもまず交通規則という壁があります。どこでも練習することはできません。サーキット
   に行くとしても、その数自体少なく簡単に行けない所にあります。走れる日時もかなり限定されていて、使用料金も非常に
   高額です。財力がない若者は、練習したくてもできないということになります。となると、このようになるべく人目につかない
   場所を探して、深夜など交通量の少ない時間帯を狙って走る、ということになってしまいます。場所無い、時間無い、お金無い、
   だけど上手くなりたい走りたい。それでたどり着いた選択肢が走り屋だった訳です。

   そして噂を聞きつけて、興味本位で走り屋スポットを見に来た免許取りたてのバイク少年が、目の当たりにした光景に衝撃
   を受けて、自分も真似をしたいと思うようになって、段々と変わっていく様子を私は見ていました。そして彼らの将来にも走り
   屋スポットの将来にも、一抹の不安を抱き始めていました。暴走行為であるのは間違いないけれど、いわゆる世間一般で
   言う暴走族と違うところがあります。群れて走ることで「威圧感を出す=格好良い」のが目的ではなく、「速さ=格好良い」を
   求めているという点です。そのためには紳士でなくてはならないのです。一般車が来たらやめるとか、ゴミは出さないとか、
   スポット以外の場所ではやらない、等々の、「わきまえ」を分かってくれるのだろうか?そういう紳士的な振る舞いを新参者は
   自主的にやってくれるのだろうか?できなければすぐにスポットは潰されるだろう、と思っていました。「格好良さ」とは何か。
   その価値観や理念は、世代が変わると形を変えて行くのです。そしてその不安な予想は、残念な事に的中してしまうのです。
   
   おそらく最初、1985年頃でしょうか。初期の走り屋はそんな行為をしながらも、越えてはいけない一線は持っていたというか、
   ポリシーがあったように感じます。しかし人数が増すにつれてモラルの低下もエスカレートして行き、目的が純粋に走ること
   から、ただ目立ちたいだけ、悪ぶって格好付けたいだけの人達が増えてきました。そのうち車をむやみにアオリまくる行為
   やら、単に爆音を出したいだけの者や、ゴミの始末もせずに落書きをする者など出てきたり、最終的にはヤンキーの暴走族
   とあまり変わらない存在になっていきました。幾多の先輩方が微妙なバランスを保ちつつ、最低限守ってきたはずのマナー
   が崩壊した時、かつては一目置かれる存在だったはずの走り屋が、ただの野蛮な暴走族となっていったのです。

   人が増えるにつれて騒音は増していき、近隣住民も黙ってはいられずになりました。警察は全員逮捕する事はしないので
   一時的に追い払ってもまたすぐに走り屋は戻ってきます。やがては警察ではなく、その筋の「やから」が出てくるようになり
   ました。見せしめに捕まえられた走り屋が、半殺しにされたという話も聞いたことがあります。こういった抑止力は効果抜群
   でした。みるみるうちにスポットから人が居なくなっていきました。自業自得と言えばそれまでなのですが、根本はやはり、
   ただ「走りたい」だけなんですね。彼らの気持ちとしては、バイクで走るのが純粋に好きな事であり、好きな事をやりたいだけ
   なのに、こういう目に遭ってしまうという、なんともやるせない結末になってしまうのです。
   
   そんな事情はどうあれ、公道での走行が迷惑行為であることは、彼らも十分わかっています。例えば・・・彼らがもっと自由
   に走れる場所や施設があれば、警察とのイタチごっこや一般車両への迷惑も、減っていたのではないかと思います。どこか
   例えば閉鎖空間で騒音漏れしない施設などがあって、しかも非常に安い金額で利用できる。事故は自己責任ですから、
   ドクターを常駐しろとは言いません。施設の中は治外法権でも良いかもしれない。そんな場所がいくつかあれば、日本にも
   モータースポーツが根付いていたのではないか?そんな風に思うのです。人が住んでいない湾岸の広大な埋め立て地など、
   無駄に放置しておくくらいなら、そうやって少しでも若者の発散ができる場所を作ってあげてもいいのではないかと思ったり
   します。現実的には色々問題あるのでしょうけれど・・・。

   バイクが趣味というだけで、近所の目が何か違うと感じる後ろめたさは、バイク乗りなら誰もが経験したことがあるでしょう。
   今の日本はただでさえ二輪車に対する扱いが厳しく、色々な権力や圧力によって縮小の一途を辿っています。走り屋=「悪」
   ではなくて、欧州のように「文化」という形に持っていくことはできないのだろうか?などと昔から思っているのですが、日本
   ではそういう遊び心で何かを造るとか、やはり難しい事なのかなぁ、という諦めを感じるのであります。石原東京都知事が昔、
   三宅島でレースをやろうと言い出した時、私はすごく粋(いき)だなぁと思いました。結局国内メーカーの協力が得らなかった
   ので、骨抜きな企画になってしまいましたが・・・。海外にはマンクスTTとかモナコF1レースとか、危険なレースがあるけれど
   もそれが文化として根付いています。そういう最初の布石がゆくゆくは、世界に誇れる文化を育む可能性だってあるのです。
   と・・・まぁ要するに何が言いたいかというと、好きに走れる場所が欲しい。それだけなのです。


Return
inserted by FC2 system